雑記

自分を見失わないため、自分が何を考えている人間なのかを把握するために書く、自分本意なブログです

2017年を振り返る

ブログのことは完全に忘れていた。

自分という人間のなかになにか言いたいことが貯まらないと、なかなか書くということ自体が頭の中に浮かんでこない。そもそも僕は自分の内面を晒したり考えたりしたことを共有したい人間ではないと思う。

ただ、どうもそういうものがいろいろと溜まってきているようだ。

一つ前のブログは2016年を振り返っていたので、今回は2017年を振り返りたいと思う。

社会人になった。企業に就職してサラリーマンになった。はっきりいって、所謂ゆとり社員だと思う。

協調性というか、知らないひととか初めて合う人とも交流できないといけないんだと思うけれど、どうも空回りしてしまうし、自分のことをうまく人に伝えることもできない。人との相性が限られてしまう人間なのかもしれない。社会人になったというのに全く子供である。

本当に自分はまだ幼児なのではないかと思う時がある。自己嫌悪でたまらなくなる。なにかを与えてもらえるというのが当然だ、という考えを持っている自分に驚きうんざりする。

今もそういうことを考えていた夜だ。

普段自分のことを話さない人間が白紙のノートに向き合って書くことは自分のことばかりになってしまうのだろうか。自己言及ばかりになってしまうが、たまにはいいと思わないとやってられない。

自分の内面に沈んでいくといろいろなことが思い出される。主に嫌な記憶だ。楽しいことの記憶というのは長く続かない、というかなかなか思い出せないのに、嫌なことばかりが頭をぐるぐる廻るという自分は損な人間だと思う。

これは自分のものの考え方が原因なのかもしれない。昔のことを思い出すとき、楽しかったこともあったのだと思うけれど、その中に必ず潜んでいる良くなかったこと、辛かったことなどを自然と探してしまい、やっぱりそんなに楽しいものでもなかったなと考え直してしまう。永遠に苦しいまま生きるしかないのか。他人から見たら大したことはないような、むしろ恵まれていると言われてしまう可能性さえあるような、小さな悩みかもしれない。

自分にも大学生のときがあったというのが不思議に思うぐらい昔のことのように思えるけれど、大学生のときに、いろんなものが遠ざかっていくというか、具体的に言えないんだけれども現実が崩壊するような感覚があった。なにかきっかけがあったようには思えない。

いや、たぶんきっかけがあったんだと思う。自分の中を探っていくと、今思うと完全に理性的ではないし、現実を見れていない、ナイーブな考えが原因なのかもしれない。好きだった子の別の一面をみたといったようなことだ。なんてことはない。人間というものが存在していないような、他人に対して自分が持った印象がそのままその人を表しているというような世界に生きていたからだと、今になってみれば思う。

なにをしていても自分の意見というようなものがないような薄っぺらい人間になってしまっている。もともとそうなのかもしれないが。まるで生きているという実感がない。

最近は映画をよく見る。でも見終わった後にレビューとか評論とかをすぐ見ることに逃げてしまっている。情報の海となってしまった時代に自分だけのもの、なんてないと思うけれど、多分自分の考えていることが正しくないのではないかという考えに支配されてしまっている。答えさがしばかりしてしまう。自信がない人間である。

まったく自分に酔ってしまっている。どうしてもこういう文体になってしまう。気持ち悪い。

2017年を振り返りたかったが、どんなことがあったのかどうも思い出せない。とくになにもなかったような1年だったのだろうか。

そういえば、若いうちに無理してでも刺激的な環境に身を置きたいという人の気持ちが分かったんだった。自分はまるで老人なのではないかと思ってしまう。毎日同じような生活。なにもかも代わり映えしないような気がしている。自分はさらに鈍感になってしまっているのだろうか。

なんだか、いまここでキーボードを打っているというのは変な感じがする。現実感がないような。

南の島で海をずっと眺めていたい。